万力堤まんりきつづみ![]() 奥秩父に源を発する笛吹川が、甲府盆地にさしかかる右岸に万力林がある。 ここは水防の難所で、信玄の時代以前から治水事業が行われていた所である。 林は天正11年9月(1583)笛吹川の大洪水で、この付近から甲府にかけての大水害が発生した後、 水防の為に造林されたのにはじまるという。 現在、林の中に石積みの堤が一つ残っており、当時の雰囲気を伝える。
【上】万力堤前の笛吹川 甲府方面 ここは釜無川の 信玄堤と並ぶ水防の難所であった。 ![]() 【左】「雁行堤」イメージ図(現地案内板より) 字の如く雁の列のように堤防を並べて築くことにより、川の流れを弱め、流れを 変えるようにしたもの。 「甲州流河防法」といわれるもので、案内板の年代によると武田氏が滅亡した直後に 造られたことになる。 ![]() ![]() 【左上・右上】万力林の中に残る堤 現在ではただ一つのみ残っている。今の堤防の内側に 万力林が残り、その中は万力公園となっている。堤は公園の真ん中辺りにある。 ほとんど土の中に埋まっているが、高さ5.5m、長さ33mのものである。 ![]() ![]() 【左上】堤(上の写真の反対側) 釜無川の 信玄堤より小振りで、積み方も粗雑な感じである。 【右上】笛吹川より万力林 防水林として松を植えた。「万力」という名も 水難を防いでほしいという願いから付けられたといわれる。 |