丸尾地蔵堂
  まるびじぞうどう

山梨県南都留郡富士河口湖町船津



河口宿は中世鎌倉街道の宿駅であり、富士信仰の道者(参拝者)の案内、宿泊などを指導する御師の集落としても 発達した。戦国期、鎌倉街道は駿河、相模方面への武田軍の侵攻ルートとなった。
御師を通じて諸国から集まる道者から徴収する関銭(通行税)は重要財源の一つで、関銭徴収の 為の関所を各地に設置した。
河口に造られた関の位置はつまびらかでないが、船津関の跡は丸尾地蔵堂の所といわれている。
弘治3年(1557)11月19日、信玄の娘である北条氏政夫人の無事出産を祈った信玄が、 当関の閉鎖を約したことが知られているが、その子が無事育った形跡はなく、閉鎖が実現したかどうかも 定かではない。
【上】丸尾地蔵堂  永禄2年(1559)、信玄が船津の関を抜き、この関跡に北条方との戦いに よる戦死者追弔のため建立した。文政8年(1811)御堂を焼失するも、本尊延命地蔵菩薩は焼失を 免れた。(町指定文化財)〔現地解説板〕

現地解説板によると永禄2年に北条氏と戦があったようにとれるが、そのころは甲・相・駿の三国同盟 の時期なので、年が間違っていると思われる。
ただ、この付近は武田氏と北条氏との合戦があったようで、現在は無いが「信玄築石」、「信玄鐘かけの松」 などというものがあったという。


行き方国道137号沿い 富士急ハイランド前
駐車場国道沿い店舗駐車場借用
撮影日2005年11月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年