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![]() 穴山氏館 の裏手にある南松院は穴山信君(梅雪)が永禄9年(1566)に亡くなった母の菩提所として創建した寺である。 母南松院殿は武田信玄の姉で、穴山信友に嫁ぎ天文10年(1541)に信君を生んでいる。
信君の養女下山殿と徳川家康の子武田万千代丸(信吉)は水戸藩を開いたが、21歳で夭逝したので 家康12男頼房が水戸に入った。この縁で南松院の修理は水戸藩で行われた。 また、信君夫人(見性院)は信玄の娘である。信君没後間もなく一子勝千代の死により天正15年(1587) 穴山氏が絶家したので、江戸城に入り三代将軍家光の異母弟会津藩祖保科正之を養育した。 このため幕府は南松院に御朱印地25石を寄進し明治に至った。〔現地解説板〕 【右上】亀石 夢窓国師の作と伝えられる庭園の池にある。 信友夫人(南松院)が嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の亀石。〔現地解説板〕
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