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![]() 龍光山 観音院(通称 小坂観音院)は諏訪大社 の社坊だったが、中世諏訪氏の祈願所となった。 永正3年(1506)作の十一面観世音を本尊としている。 建造物は江戸時代、2代目藩主諏訪忠澄が寛永21年(1644)に改造、更に4代目忠虎が 正徳5年(1715)に再建した。 作家井上靖の著書『風林火山』では、諏訪頼重の娘「由布姫(ゆぶひめ)」は、信玄の側室となって 勝頼を生み、この観音院で暮らしたが、病のため25歳でこの世を去った、と書かれている。 昭和38年(1963)境内の高台に供養塔が建てられた。〔現地解説板より〕 【左】小坂観音院山門 諏訪湖畔の小高い山にあり、付近は古木が生い茂る。 山門からサワラ並木が続いており、樹齢は400年以上との事。
【右上】境内 諏訪氏によって江戸時代に幾度か改築された本堂がある。
![]() ![]() ![]() 【左上】北側 岡谷方面 花岡城が遠くに見える。 また、背後の西側には小坂城が あったが、中央道建設によって消滅してしまった。 【中上】東側 諏訪方面 信玄は死後自らの遺言によって、石棺に納められ観音院沖の諏訪湖に 葬られたという伝承がある。 【右上】南側 茅野方面
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