清光寺
 せいこうじ

山梨県北杜市長坂町大八田



清光寺は平安時代仁平元年(1151)に信立寺と称し、逸見黒源太清光の開基になる寺院で、 清光没後、清光寺に改められた。
清光は甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の孫で、天永元年(1110)源義清の跡継ぎとして生まれた。 常陸国武田郷(現在の茨城県ひたちなか市)にいたが、父義清と共に甲斐国市河庄(西八代郡 市川大門町)に配流となる。
その後、父と開拓した逸見地方(北巨摩郡一帯)に勢力をひろげ、 谷戸城を築いた。
清光は子に恵まれ、それぞれの子を国中(甲府盆地)へ進出させ、甲斐の国一円を統一し、 甲斐源氏としての基礎を固めた。
清光の次男信義は、 武田庄(韮崎市)に館を 構え勢力を培い、武田氏の祖となった。

【左】清光寺本堂


【左上】清光寺総門  享和元年(1801)建立、平成5年に改修された。
【中上・右上】清光の墓  本堂裏手の墓地にある。仁安3年(1168)谷戸城にて没した清光は 谷戸城の西の出丸に葬られた。そこの五輪塔がここに移され再建された。
右隣りには義光の供養塔も再建されている。これは墓地改修の際に義光追善の塔の一部が出土した ことにより再建したという。


【左】八幡大神社
清光寺の南側にある。
甲斐守源頼信とその子頼義が八ヶ岳山麓の原野に私牧をもとめ荘園をつくった。
その開発の中心地に源氏の守護神を祀り、頼義の子、義光は広大な神領と社殿を 寄進し、大八幡宮と尊称したという。
水害によって現在地に 移されたというが、当時の面影はまったくない小さな神社である。



行き方県道32号長坂駅前より約1.5q東へ 案内板あり
駐車場清光寺駐車場 10台
撮影日2005年1月