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![]() 信立寺は信虎によって大永2年(1522)身延13世日伝を開山として古府中の穴山小路に創建 されたという。 一蓮寺、 光沢寺等と同様に 甲府城築城の際に、現在地に移転した。 『甲陽軍鑑』の中の話で、信立寺の塔頭(たっちゅう)である 林生坊(りんしょうぼう)、昌沈坊(しょうちんぼう)が 女房を迎えていることが問題となり、 出家の身としてあるまじき行為として糾弾すべきと訴えられた。しかし信玄は妻子を持つ僧が広汎に 所在することを理由に彼らを処分せず、妻子を持たない清僧と区別するため前者に 妻帯役(さいたいやく)を課すことに よって調整を図ったという。 【左】本堂 朱色に塗られた比較的新しい御堂。一蓮寺や光沢寺もそうであるが、戦災によって 伽藍は失われたという。 ![]() 【左】本堂向かって右手にある建物 大きい方は待合所として利用されているようだが、 こちらの建物の方が趣があって興味をひいた。
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