東光寺
 とうこうじ

山梨県甲府市東光寺



東光寺は創建の時代は不詳だが甲斐源氏の祖新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ) が中興し興国院と称したと伝わる。 鎌倉時代文永年間(1264〜75)蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)により 東光寺として整備された。
甲府五山のひとつに数えられ信玄との関係も深い。天文11年(1542)に 諏訪へ侵攻、戦いに敗れた 諏訪頼重はここに幽閉され自害することとなった。諏訪頼重の墓がここにある。
そしてもうひとつ信玄の嫡男、義信の墓がとなりにある。『甲陽軍鑑』では義信は今川義元の娘を妻としていたため、 義兄にあたる氏真との衝突、駿河侵攻には反対であった。そのため義信は守役の飯富虎昌(おぶとらまさ) と謀って信玄を殺す計画を立てたが、露呈し東光寺に幽閉された、とある。 2年後義信はここで死去したが死因は自害とも病死ともいわれる。

【左上】武田義信の墓  【右上】諏訪頼重の墓
本堂向かって左奥の方へ進んでいくと、諏訪頼重、武田義信の墓が並んである。
頼重の妻は信玄の妹であった。政略結婚により嫁いだが頼重が死んだため甲斐に戻った。 しかし、頼重の後を追うように次の年亡くなった。左の小さい塔は 妻の墓ともいわれる。また、その娘はのちに信玄の側室となり勝頼を生む。
他の説では小さい塔は頼重の弟の大祝(おおほうり)頼高のものという。
頼重の菩提寺として、供養塔が諏訪市の 桑原城麓の頼重院にある。


【左】東光寺仏殿
織田信長の兵火、昭和の戦災を免れて現在に至るが建立年次は明らかでない。
様式から見て室町時代の建築とされている。(重要文化財)


甲府五山とは・・・京、鎌倉の五山制度に習って信玄が定めた寺院。
もともとはインド、中国の制度で、禅宗の保護と統制の為に格式の高い五寺を定めた事がはじめ。 室町時代にはその下に十刹と諸山が選ばれた。
甲府五山は長禅寺、 東光寺、 能成寺法泉寺円光院の五つの臨済宗寺院。


行き方県道109号善光寺駐車場前を西へ入る  300m先右側
駐車場山門右側奥 10台以上
撮影日2003年9月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年