信玄堤

しんげんつづみ

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周囲を山に囲まれた甲斐では治水は国を治めていくうえで、重要な課題であった。特に釜無川(かまなしがわ) の竜王は水難の絶えない地域で、西から合流する御勅使川(みだいがわ)を含めて信玄によって 総合的な治水事業が行われた。
一般的には天文11年(1542)から弘治3年(1557)かけて行われたといわれるが、 その後も工事は断続的に続けられていたようである。
後にこの治水事業の工法は、「甲州流河防法」と呼ばれ、日本各地で用いられた。
(釜無川は下流域で笛吹川と合流すると富士川と呼ばれるようだが、上流部でも富士川と 呼ばれる事もある)



〜石積み出し〜

御勅使川上流部、現在の南アルプス市駒場にあり、川の右岸に石積みの堤防のような「石積み出し」 を雁行状に何本も設け、流路を北に押し上げた。
「出し」とは川岸から川中へ向けて「でっぱり」を造り、流れを川中へと戻す役割をさせたもので、 それを石積みで造っていることから「石積み出し」という。
現在、一番から五番までが確認されているが、八番堤まであったことが確認されている。 各堤にはそれぞれ2本程度の「出し」が設けられて、水の勢いを徐々に緩和させ分水している。 また、最上流部にある一番堤に最も大きな石を使用しており、激流に耐えられるようになっている。
<場所>山梨県南アルプス市駒場
<行き方>県道20号を塩沢入口信号からさらに西へ約700m
白根西橋を渡る道を右折 橋手前左側が二番堤
<駐車場>二番堤前に大駐車場
<撮影日>2004年5月


【左上】一番堤  長さ約100m、幅約15m、高さ約7m(現在地表で確認できる範囲で) ほどの石垣。これが川にむかって斜めに突き出していたのであろう。近くで見ると巨大でまるで 古代の墳墓のような感じ。これが約200m間隔で5本並んでいるのである。
【右上】一番堤 横の部分  この面が川にぶつかる部分である。現在の御勅使川は遊歩道を間に 挟んで、現代の堤防の中を流れているので、ここにぶつかる事はなく、堤上部、前部は耕作地になっている 模様。

【左上】現在の御勅使川  二番堤の付近。昔は駒場から東の盆地へ向かって流路は定まってなく、 大扇状地を形成していた暴れ川である。
【右上】二番堤  川に沿ってある遊歩道より。川が運んできた土砂によってか 整地したことによってかはわからないが、だいぶ埋まっているようだ。 まだ下方に続いているようで、現在見えているのは上部である。

【左上】二番堤 横の部分  一番堤から下流へ約200mの所にあり、一番から、三番までは 川沿いの遊歩道で歩いて見に行ける。手前部分が二段になっているのがわかる。
【右上】二番堤 上部  長さは約100m強あり、他の堤もだいたい同じ大きさのようである。

【左上】三番堤  手前部分は耕作地となっているためか、だいぶ埋まっている。
【中上】三番堤 先端部  耕作地の反対側は発掘されたようで下部まで見えており、そのまま保存 されている。一番堤と三番堤は三段になって高さを出していたようである。二番堤も 埋まっているのかもしれない。
【右上】三番堤 上部  ここを歩いていくと県道20号のすぐ脇まで続いている。


【左】四番・五番堤
ここは三番よりさらに下流に200m程いった駒場浄水場内にあり、 上部が確認できる程度。
形は一番から三番とはちがい、V字型となって四番、五番が接続している。

【左上】四番堤 上部  浄水場の隅に上部だけ地表に見えている。
【右上】四番・五番堤  川に面した先端部で写真手前が四番、奥が五番堤。現在 その間は排水溜池となっている。

【左上】四番・五番分岐部分  当時の石積みかどうか不明であるが、分岐部分の所以外は ほとんど草木に覆われてしまっている。
【右上】五番堤 外側部分  県道から見たところで、石積みが一番よく見える。


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